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    日航機墜落事故から20年
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      1985年8月12日午後6時12分
      日本航空のジャンボ123便大阪行き(乗員12人・乗客509人)は
      予定より約12分遅れて羽田空港を離陸した。

      そして、10分後の午後6時24分
      伊豆半島西方の海上、高度約7200メートルで
      突然機体に「ドーン」という衝撃音。
      その音と共に異常が発生する。
      実はこの時、垂直尾翼が破壊されていた。
      そして「ラダー(垂直尾翼にある方向舵)」操作がまず不能になる。
      また、垂直尾翼内にある油圧系統も破壊されていて、使用不可能になる。
      しかし電気系統は無事であった。
      この直後に機長は非常事態宣言「スコーク77」を発信。

      この時、123便が飛行していたあたりの地域に住む住民は
      花火のような大きな爆発音を耳にしている。
      「ジャンボ機が普通より大きく見えた」という証言から
      通常より低い高度で飛行していたことが窺える。
      また、同じ頃機内では、生存者の証言より
      「白い霧のようなもの」が室内に一瞬現れ、すうっと風が抜けて軽いものが飛び散った
      という変化が現れていたようだ。

      午後6時25分
      伊豆半島西方の海上、高度約7170メートルで
      123便、東京ACC(東京航空交通管制部)に羽田への帰還を要求する。
      これより、どんどん高度が下がってゆく。

      午後6時26分
      下田北方上空
      123便から「油圧がだめになった」との通信がある。
      以降、123便は本来の飛行コースを北に向かって外れていく。

      午後6時28分
      駿河湾上空、高度約6630メートル
      123便から操縦不能との通信がある。


      もう、ここからは殆ど操縦が不可能となったと思われる。
      しかしエンジンの制御と多少の左右の機首を向ける事だけで
      操縦士・副操縦士・航空機関士らは最期まで何とか墜落を避けようと努力していた。


      午後6時56分14秒
      GPWS(地上接近警報)が作動し始める。

      午後6時56分23秒
      衝撃音が鳴る。

      午後6時56分26秒
      衝撃音が鳴る。

      午後6時56分28秒
      CVR、録音終了。



      異常発生から32分後、乗員の苦闘もむなしく123便は
      高天原山山腹に右に約30度傾いた状態で激突した。
      3時間分以上の燃料を積んで離陸し、墜落した123便は大火災を発生させ、
      一晩経っても煙は空に舞い上がっていた。

      日航123便(JA8119)御巣鷹山墜落事故の真実より抜粋)


      また、生存者の証言から
      墜落直後はたくさんの人の声がしていて
      小さな男の子や女性など、生存者以外にもまだ生きていた人がいたらしい。
      中には墜落直後もちゃんと意識があった人もいて
      救出を待っているうちに徐々に息絶えていったようだ。
      当時の新聞記事で、墜落直後、父親と励まし合い
      頑張って救助を待っていたが、何時の間にか父親が自分の隣で冷たくなっていた
      という少女の証言もある。
      もう少し救出が早かったら、助かった人ももっといたかもしれない。

      パニックになってもおかしくないこの状況下で
      最後まで全力を尽くしたクルーたちに対して
      心から敬意を表し、冥福を祈りたいと思う。
      また、不慮の事故で亡くなってしまった
      たくさんの乗客の方々に対しても。

      そして、今後このような事故がもう二度と起こらない事を祈っている。


      【参考資料】
      日本航空123便墜落事故・落合由美さんの証言
      爆発音があってから墜落までの通信の様子(音が出ます)
      日航機墜落事故20年の記録
      日航123便御巣鷹山墜落事故の真実


      いつか機会があったら、御巣鷹山の慰霊碑を訪ねてみたい。

      続きを読む >>
      | さえ | ニュース | 00:58 | comments(8) | - | - | - |
      JR福知山線脱線事故についてのちょっと怖い話
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        今年四月下旬に、JR福知山線で脱線事故が発生し、
        多くの方が命を落とすという大規模な事態になってしまったことは
        皆さんの記憶に新しいと思います。

        まず、その事故についての概要を引用します。

        JR福知山線脱線事故は、
        2005年4月25日午前9時18分頃(9時19分という見方が有力)に
        JR西日本福知山線(JR宝塚線)塚口駅〜尼崎駅間で発生し
        107名の死者をだした列車脱線事故である。
        フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


        この大事故に関わる、不思議な記事を見つけたので、紹介してみようと思います。
        まず、下の記事を見てください。



        これは、2005年4月24日のお昼ごろに起きたトラブル。
        そう、JR福知山線事故のちょうど前日にあたる出来事です。
        しかも、位置関係的に見ても近い路線。
        これは何かの前兆だったのでしょうか・・・。
        人影とは一体・・・。


        そしてもうひとつ。



        これは、事故直前に謎の老婆に救われた、という不思議な記事。
        この老婆は何者なんでしょうかね。
        普通のばあちゃんなのか、それとも守護霊か何かなのか。
        とにかく、常識を超えた何かが起こした事実なんでしょうね。
        そういや、神戸の震災の時も
        震災直前に不思議な体験をし、危機を免れた、というエピソードも結構聞きました。
        この世の中には、常識や人智を超えた力が存在し
        時にそれが人を危機から救ってくれることがあるみたいですね。


        また、ちょっと余談なのですが。

        福知山線というのは、たびたび悲惨な事故が起きるらしいです。
        20年ほど前には、この線の延長の山陰本線で
        鉄橋から列車が落ちるという大惨事もあったとのこと。
        この事故で、しばらくの間、日本海側との行き来に支障をきたしていたらしいです。

        その他にも、この線はやたらと事故が多く、
        何か霊的なものがあるのではという話も聞いたことがあります。

        この福知山線の建設には、朝鮮人労働者が多くかり出され、
        今は使われていない旧線の工事では、多くの死者を出した そうです。
        また、山の方には数多くの被差別部落があり、そこの人たちも
        危険な工事に安価で従事させられて、犠牲者も多かったということです。

        また、神戸や尼崎には、あの震災で無念の死をとげた方々が多くいらっしゃいます。
        成仏できずに怨念だけがあのあたりをさまよっているのかもしれませんね・・・。
        | さえ | ニュース | 02:47 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |